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エレベーター内容の要約

東海道新幹線の開業と東京オリンピック開催からちょうど一年がすぎた一九六五年の秋、アメリカ政府内部の宇宙評議会で、一つのレポートがまとめられた。
そのレポートには、次のような記述があった。
当時の日本は、まだ人工衛星の打ち上げさえも成功していない。
東大に、宇宙科学研究所の前身である宇宙航空研究所が発足したばかりで、観測用ロケット「ラムダ」による人工衛星打ち上げ計画がスタートしたところだった。
そうした状況にありながらも、日本は三年以内に核弾道ミサイルを開発できる、とアメリカは判断していたのである。
そしてこの判断から、宇宙開発をめぐる日本とアメリカの〝協力関係″はすすんでいった。
人工衛星さえも上げていない日本が、なぜ核弾道ミサイルを開発できるとアメリカは判断したのか。
その根拠はなんだったのか。
そしてなぜ、日米は協力関係を結んだのか。
宇宙開発にかんしては、知られていない部分、不明だった部分がひじょうに多い。
しかしそれは、宇宙開発の黎明期についてだけではない。
すでに高度三九〇キロの高空で建設がすすめられ、肉眼で確認できるまでになった国際宇宙ステーションにしてもいえることだ。
国際宇宙ステーションは、計画がたびたび変更されたうえ、ロシアの参加により、ついにはその軌道までも大幅にかわっていった。
なぜ、ロシアは国際宇宙ステーション計画に参加したのか。
なぜ、軌道は変更されたのか。
宇宙開発というと、一般には将来の〝夢″として語られることが多い。
たしかに月面基地の建設や火星探査計画などは、これからの夢である。
しかしそうした夢が、宇宙開発のすべてではない。
むしろ一つの側面でしかない。
実際の宇宙開発とは、産業そのものである。
しかもハードウエアやソフトウェアの開発と製造はもちろんのこと、衛星の運用にいたるまで、まさに富士山の裾野のようにひろい分野の技術からなる、知識集約型の産業だ。
そのうえ、将来の夢を描くことのできる産業でもある。
商業用ロケットは、いまや開発の時代から製造の時代に入っている。
そしてさらに、〝使いやすさ″の時代へと足を踏み入れつつある。
それはちょうど、戦後の自動車産業が歩んだような道のりだ。
オーバーヒートに手を焼いていた国産車は、やがて低燃費でコンパクトになり、ついにはセダンやRV車から軽トラックなど、ユーザーの用途に応じた豊富なバリエーションを生み出すまでになった。
ロケットも同様である。
さまざまな軌道へ、さまざまな重量のペイロードを、最適の方法で運び上げることが求められるようになっている。
衛星を上げさえすれば拍手がわいた時代はすでにすぎ、輸送システムとしてのコストパフォーマンスや機能を競い合うようになったのだ。
それは、宇宙開発が〝宇宙産業″の時代へと確実に移行していることを意味している。
産業構造というものが時代とともに変化してゆくのは、過去の歴史が証明していることであり、ごく自然な流れである。
戦後、欧米に大きく遅れをとっていた日本の自動車技術は、わずか二十年ほどのあいだに急発展し、産業構造を変えてしまうと同時に日本経済の重要な部分を占める産業となった。
そして日本の〝宇宙産業″は、HIHロケットの成功により、成長期に足を踏み入れようとしている。
宇宙産業の市場は、国内ではない。
最初から世界である。
また成長するにつれて、開発や製造も国際協力へ向かうのが、この世界である。
しかしこれは、宇宙産業にかぎったことではない。
これからの日本では、他の産業についても多かれ少なかれいえることだろう。
その意味で、知識集約型、国際市場、国際協力という要素をかねそなえた宇宙産業は、日本にとっては将来型の産業である。
しかし現実の日本社会では、将来型の産業という発想や認識など、ほとんどないかのようだ。
バブル崩壊の後遺症を引きずったまま長引く不況にあえぐなかで、「新しい産業の創出が求められている」という言葉は頻繁に耳にするものの、実情はまったくちがう。
結局は公共事業という名の土建業で乗り切ろうとする、旧態依然のパターンである。
利権がらみの構造から抜け出せないのか、変化を嫌う国民性ゆえのことなのか、それとも金融という悪性腫瘍の手術で体力を消耗したのか、新しい産業が生まれる気配など、まったく感じられないといってよい。
だが、このままの状態がいつまでもつづくとは思えない。
いずれは変わらざるをえない日がくるだろう。
ある日突然バブルが崩壊し、ある日突然リストラの嵐が吹き荒れ、ある日突然金融破綻が起きたように、その日は急にくるのかもしれない。
しかし宇宙産業については、その日がくるのをただ指をくわえてまっていてはならないのである。
そのときまでに解決しておかなければならない問題や、理解しておかなければならないことがあるからだ。
たとえばロケット・エンジンの輸出規制である。
すでにニーズがありながらも、軍事用ミサ出を規制している。
たしかにかつてのロケットは、構造によってはそのままミサイルに転用できるものもなかったわけではない。
ロケットのルーツが兵器であれば、それはむしろ当然である。
しかしそうした判断、あるいは視点を、設計思想も打ち上げシステムもまったくちがう現代の商業用ロケットにまで持ち込み、エンジンの輸出を規制することが、はたして正しいのだろうか。
東大の観測用ロケットさえも核ミサイルと結びつけて見ていた時代の判断基準を、現代にまで持ち込むことは妥当なのだろうか。
また、これからの宇宙産業は、国際協力によってすすめられる部分が多くなる。
しかし国際協力というのは、〝仲良しクラブ″ではない。
お互いにメリットとデメリットを理解し、納得したうえでの協力関係である。
何でもかんでも手を取り合って仲良くやることだけが国際協力ではないのだ。
宇宙ステーション建設計画は、そうした国際協力の道を模索する、もっとも大きな実験場といえる。
また計画をめぐって生じたさまざまな問題については、日本ではほとんど知られていないが、これから″国際協力″をすすめるうえでは、理解しておかなければならないだろう。
九九年の六月、宇宙開発事業団とキリバス共和国のあいだで、クリスマス島の一角を長期貸借する調印がかわされた。
二〇〇三年度にはじまる日本版シャトル「HOPE-Ⅹ」の、着陸実験のためである。
日本の宇宙開発は、確実にすすんでいる。
宇宙産業の芽も成長しつつある。
しかし、過去から引きずってきたさまざまな問題を、はやいうちに解決しておかなければ、せっかくの芽も発育不全になってしまう。
宇宙開発の〝夢″について書かれた本は、たくさんある。
しかしその夢を実現するためには、まずはいくつかのハードルを越え、宇宙産業を育てなければならない。
本書では、〝夢″についてはいっさい触れていない。
私が書きたかったのは、日本の宇宙産業を育てるために、今やらなければならないことだからだ。
当初、本書の脱稿予定は九八年の春だった。
ところが私の執筆が遅れて夏にずれこんだころ、アメリカではデルタHIロケットの打ち上げがあった。
ついで北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)によるテポドン騒動と、これにともなう情報収集衛星開発計画、そして国際宇宙ステーションの建設スタートなど、次から次へと重大な出来事がつづいた。
これらのことについて、できるだけ新しく詳細な情報を採り入れようとしているうちに時間がすぎ、とうとう一年遅れになってしまった。

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